クルシリヨの日本の歴史
1963年からキリスト教の美しさを伝えています。
クルシリヨ運動は1963年に日本に伝わった。以下にその詳細な歴史を紹介する。
始まりについて
セバスティアン・ガヤ神父(活動の三大創始者の一人)の資料に保存されていた写真のおかげで、日本におけるクルシリヨの始まりについて調査することができました。
私たちは、日本で開催された第3回と第5回のクルシリヨの写真を所持しています。この情報から推測すると、日本で最初のクルシリヨは1963年に開催されたと考えられます。なぜなら、第3回は1964年1月、第5回は同年5月に行われたからです。
このムーブメントを日本に持ち込んだのは誰かという点については、当時クルシリヨが急速に広まっていたアメリカから来た宣教師の神父たちではないかと考えています。実際、1964年5月に浦和教区(現在のさいたま教区)で開催された第5回クルシリヨの写真には、7名ほどの外国人神父が写っています。そして、名前が判明している神父たちは全員アメリカ人であることが分かっています。

日本での5番目のクルシリヨ(1964年5月)
1963年最初のクルシリヨ
セバスティアン・ガヤ神父様が記しているように(添付した写真)、日本で最初のクルシリヨは1963年に開催されました。そして、そのクルシリヨのリダーたちは日本語を理解していませんでした。

翻訳:「1963年 – 日本でクルシリヨが行われる。リーダーたちは日本語を話せなかった。」
「クルシリヨ」という言葉について
日本語では、外国語を表記する際にカタカナという表記体系を使用します。したがって、これらの言葉を日本語で表す場合、カタカナを用いるのが適切です。
では、日本で「Cursillo」をどのようにカタカナ表記したのかを知る方法はあるのでしょうか? その手がかりとなるのが、私たちが持っている写真です。この写真には、1964年1月に東京で開催された日本第2回クルシリヨの責任者を務めたフランシスコ佐藤さんが写っています。写真を詳しく見ると、フランシスコ佐藤さんが持っているフォルダーの表紙に何かが書かれています。そして、そこに書かれているのがカタカナで表記された「クルシリヨ」という言葉なのです。
さらに、クルシリヨがアメリカの宣教師たちによって日本にもたらされたという先ほどの仮説を裏付ける証拠として、写真の下部に「米参個」という文字が書かれています。この表現は日本語では一般的ではありませんが、最初の「米」は「アメリカ(米国)」を意味し、2番目の「参」は「参加」や「参列」、最後の「個」は個数を示す助数詞です。したがって、この記述は「アメリカが関わったクルシリヨ」を意味している可能性があります。

フランシスコ佐藤さんは、1964年1月に日本で開催された第2回コースの責任者でした。
今まで
やがて、クルシリョは日本全国に広がっていきました。特に九州地方に深く根付き、中でも福岡教区と長崎教区で盛んに行われるようになりました。実際、枢機卿トマス・アクィナス前田万葉氏によると、1970年代には長崎で新たに叙階されたすべての司祭が、制度としてクルシリヨに参加することが定着していたそうです。
しかし、2000年に近づくにつれ、クルシリヨ運動の活動は次第に衰退していきました。そして、私たちが把握している限りでは、2024年には日本国内で唯一、長崎教区でのみクルシリヨが開催されました。


